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今年の春、昨年よりも多い受験生が私立中高一貫校の入試を受けている最中に、「平成14年度文部科学白書」が世に出ました。そのタイトルは「新しい時代〜進む初等中等教育改革」。2002年、2003年と続く、この文部科学省の教育改革は、改悪ではないのかという論議を呼び、そのせいで私立中学受験の数が増えたといわれています。まさにその時にぶつけてきたのですから、文部科学省もやるものです。

 文部科学省としてみれば、「教育改革は、成功を収めつつあるのだから、改悪だといわれるのは心外である。改悪だと思っている人たち、こっちをみなさい」と啓蒙するには最もインパクトのあるタイミングだったのかもしれません。

 それはともかく、今回の教育改革も、賛否両論なのですが、風は、賛成派の方に吹いています。それは教育改革をしなければならない必然性に基づいているからなのです。つまり、この教育改革を進めなければならないもっともらしい理由があるからなのです。

 今回の教育改革の妥当性の根拠は、いろいろあるのでしょうが、決定的なのは、バブル経済の崩壊以降あるいはベルリンの壁の崩壊に象徴される冷戦終結以降、日本の経済力が浮上してこないという長い景気低迷にあります。戦後日本教育は、冷戦終結までの日本経済を支えてきたが、もはやその経済がダメで、新しい経済システムが必要とされているのだから、教育もそれに合わせて変えなければというわけです。

 イギリスのブレア首相も、21世紀の改革は「1に教育、2に教育、そして3に教育だ」とカッコヨク言うし、アメリカもそうだと言うものだから、なおさらです。そして、経済といっても、今の日本の経済は、国内だけの問題ではなく、国際競争力の問題になっています。国際競争力を強くする教育を新しく開発せねばということです。

 ちょうどそのとき、タイミング良く、いや悪くかもしれませんが、IEA(国際教育到達度評価学会)やOECD(経済協力開発機構)が、国際的に見て、日本の子どもたちの知能や技能の習得程度がどういう位置づけになっているかを発表しました。簡単に言うと、日本の子どもたちは、知識の習得は、国際的には負けていないが、考える問題では決して楽観できないという結果がでてしまいました。他の国に比べ、理数系の科目はあまり好きではないという調査結果や勉強時間も少ないというおまけもつきました。ますます文部科学省は、国際競争力を向上させる教育改革をやらねばとやる気をだしたことでしょう。

 このような教育改革のまことしやかな必然性に真正面から反論する識者や有力な政財界人はいません。文部科学省が教育基本法を変えねばということに対し、警鐘は鳴らしますが、でっ国際競争に負けてよいわけ?と言われると、何も言えなくなってしまいます。実際、今の経済状況が悪すぎるのですから、そこから脱する方法のほうが優先というわけです。かつてと比べて学力が低下すると反論しても、それは冷戦下での経済を支える学力に過ぎない、今大事なのは新しい経済システムを支えるこれからの学力でしょう!と言われると「学力低下論」はすぐに色あせてしまいます。いや学力の格差ややる気の格差が生まれては教育の平等はどうなるのかと反論しても、国際競争で格差がついてしまえば、それどころではないのではないですかと語られると、これもまた声は弱々しくなってしまうのです。

 文部科学省の教育改革に本当に異を唱えるには、反論者側が国際的視野で、世界がどういう方向に進まねばならないのかについてビジョンを構築して論陣を張る意外に術はないでしょう。同じような改革が他国で成功したとか失敗したとかはどうでもよいのです。世界規模で教育はどうならなければならないのかその正当性あるいは信頼性が依拠する基準を提案しない限り、文部科学省の路線変更はなかなかできません。

 たしかに、国のためにがんばるんだという文部科学省のトーンは危険な感じがします。しかし本当のところは、世界の動きを気にして、つまり右顧左眄、付和雷同という言葉が当てはまるような政策であるとも言えないわけではないのです。といことは国内標準だけではなくちょっぴり世界水準的な基準も加わっているのですから、少しはマシなのです。例によって外圧をうまく活用しながら、国のためにというより、私たち自身のためにという観点から、国の教育政策を考えていくと腹をくくったほうがよさそうです。国が良くならなければ、私たちの生活が良くならないと考えるだけではなく、私たち自身がよくなれば結果的に国も良くなると考えるのも大事だということです。

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